2014年10月23日

まちの痕跡探偵団~移りゆくわがまち~

第3回 消えた太陰太陽暦

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「近年旧暦がブーム」こんな活字がふと目に付いた。我が探偵団、江戸時代が終り、新たな文明開化の嵐の中でまちから姿を消した太陰太陽暦がどのような暦だったのか、痕跡を訪ね会ってその一端を覗いてみたくなりました。

暦がまちから消えた日 明治5年(1872年)11月9日、太陽暦改暦の詔と太政官の布達が発表された。これにより、明治5年12月3日を以って明治6年(1873年)1月1日と定められた。なんと12月が2日で終わりです。改暦は、すでに西欧で使われている暦であり、季節の巡りが毎年ほとんど同一の暦日になり分かり易いが主な理由ですが、裏には、危機迫る財政事情があった様です。このまま明治6年(閏年で1年が13か月)を迎えると、お役人に年間13回給料を支払うことになり、一方、国が生まれ変わることでお金が足りない時、到底理解されないことだった。

暦が変わる、まちのみんなは寝耳に水で大変驚き大騒ぎ。こんな騒ぎの中、改暦を強力に推し進めたのが福沢諭吉です。「改暦弁」は、政府の代弁役として改暦の必要性を説き、人々の改暦に対する懐疑的な思いを払拭するのに大いに役立った。改暦の報を聞き、風邪気味で寝込んでいたが素早く短時間に書き上げたもので、平易で分かり易く、売れに売れて当時の大ベストセラーとなった。

暦の仕組み 太陰太陽暦は、6世紀頃中国から伝わりました。電燈がない時代の月明かりの利用と四季の移りを大切にする農事用に作られた、自然に大きく育まれた暦と言えます。

・朔望月(約29日半)を基準に大の月(30日)、小の月(29日)で構成され、大小月を順に12回繰り返すと1年(354日)になります。この日数は、朔望月を12回繰り返す(354.3日)のとほぼ同じ。大小月を繰返すことから「大小暦」と言われます。

・四季の調整をするため、2~3年に1度「閏月」があり、その年は13か月になります。これは、12朔望月(354.3日)と地球が太陽を一周する公転周期(約365日)との間に11日程度の差があるからです。言い変えると、太陰太陽暦は正月を毎年約11日早く、年を重ねると正月が真夏になんてことになります。そこで適切な時期に「閏月」を設けて調整が行われます。作成は幕府の管理下にあって、大小月の配列が毎年変わるため大変複雑、閏月の挿入を誤ったり、月の満ち欠け、季節に狂いが生ずることもあったようです。

・日付は、月の満ち欠けで付けました。月あかりは日々の生活の中で大変重要だった。毎月1日から満ち始め、15日に満月、そして晦日(みそか)に新月となります。「御隠居、あっしゃこれで帰りますよ」「おい、おい、今日は晦日、夜道は暗い。提灯もっておいき。狐の野郎に騙されるんじゃないよ」・・こんな日常会話もキットあった・・。

大小暦は生活必需品 まちのみなさんは、頒歴で手にした暦を見て初めて年間の大小月の並びを知り、来る年が実感出来た。また暦は、晦日の支払いや季節の衣替え等実生活における必需品、なければ何も出来なかった。年末には絵師達によって絵を入れた暦の刷り物「絵暦」が作られ、年初めに仲間と交換したり、挨拶代りに配られました。明和から寛政期にかけて盛んだったようです。絵柄は、新年に相応しいものが多い。絵や短い添え書きの中に大小月が隠されていることが多く、まるで難解なクイズの様な暦もあります。以下の大小暦(絵暦)は、江戸時代中期以降のものです。

 

koyomi-2天明三年(1783年)・癸卯(みずのとう) 大の月が、二月、四月、五月、七月、九月、十一月、小の月が、一月、三月、六月、八月、十月、十二月になります。絵は、ウサギが担ぐ天秤の後の桶に小鯛(小大・こだい)が二匹、前のザルに大根(大小・だいこん)が四本入っています。暦は、一月から順に、小、大、小、大、大、小・・・となります。天明二年~八年(1782年~1788年)には、天明の大飢饉がありました。この年、夏の六月中旬より北風が吹き続け、氷雨続きの大凶作、米、稗、大豆、小豆が狂騰、餓死する者が続出。ところで絵の天秤棒は、当時の主たる運搬手段、肩に担いで歩く足取りにつれて両端が少しづつ上下に動きます。その僅かな間肩を休めることが出来るすぐれものなのです。

 

koyomi-3寛政二年(1790年)・庚戌(かのえいぬ) 大の月が一月、三月、四月、六月、九月、十一月、小の月が二月、五月、七月、八月、十月、十二月になります。絵は、犬が大の月、飛脚のおじさまが小の月です。拡大してよく見ると、犬の背中と飛脚のおじさまの体に書き込まれた、大の月、小の月が確認できます。愉快な絵です。もともと飛脚は、駈けるのが飛ぶように見えることからつけられた名前です。このおじさまは如何ですかね・・。

 

koyomi-4寛政5年(1793年)・癸丑(みずのとうし) 大の月が、二月、四月、六月、八月、九月、十一月、小の月が、一月、三月、五月、七月、十月、十二月になります。絵は、優しい、福をもたらすオカメの顔に思わずウットリ。よく見るとササの葉に小の字と月の数字が隠されています。

 

koyomi-5寛政六年(1794年)・甲寅(きのえとら) 大の月が一月、三月、六月、八月、九月、十月、閏十一月、小の月が二月、四月、五月、七月、十一月、十二月になります。絵は、子どもが吹き出し空にふわふわ上がるシャボン玉の大きさで、大の月、小の月を表します。上から順に一月、二月・・・となります。シャボン玉で遊ぶ子ども、今の時代も見かけます。

 

koyomi-6文化二年(1805年)・乙丑(きのとうし) 絵は、大の月が二月、四月、六月、七月、八月、十一月、小の月が一月、三月、五月、壬八月、九月、十月、十二月となっていますが、赤字の月が誤りのよう・・。ネットで調べた結果は、大の月が二月、四月、八月、九月、十月、十一月、小の月が一月、三月、五月、六月、七月、壬八月、十二月になります。1803年(享和3年)が江戸開府200年です。

 

koyomi-7嘉永二年(1849年)・己酉(つちのととり) 大の月が一月、三月、五月、七月、九月、十月、十二月、小の月が二月、四月、閏四月、六月、八月、十一月になります。文章の中に大の月が入っています。絵は、初鰹でグイと熱燗!!何時の時代も変わらないですネ。大旦那、調子に乗って飲み過ぎないように・・。「目に青葉山ほととぎす初鰹」「江戸に生まれ男に生まれ初鰹」江戸の人々は、初鰹が市場に出ると相争ってこれを購求し鮮肉を賞翫しました。

 

koyomi-8萬年元年(1860年)庚申(かのえさる) 大の月が一月、三月、閏三月、六月、九月、十一月、十二月、小の月が二月、四月、五月、七月、八月、十月になります。“ここまでおいで!!” サア大変、猿回しのおじさんたち、猿に逃げられた。早く降りておいで、仲良くしようぜ、おまえの気持ち分かったよ・・。猿の持つ札には、「小野月(小の月)」と書かれています。鳥居に、「にがつ(二月)」、「四月」、「五月」、「志ち月(七月)」、「八か津(八月)」、「十月」の札が貼ってあります。

 

koyomi-9文久二年(1862年)・壬戌(みずのえいぬ)大の月が、一月、三月、四月、六月、八月、九月、十一月、小の月が、二月、五月、七月、閏八月、十月、十二月になります。絵は、文章に小の月、福の神に大の月が書き込まれています。福の神様~待ってるよ~!!

 

koyomi-10明治元年(1868年)・戊辰(つちのえたつ) 大の月が二月、三月、五月、八月、十月、十一月、小の月が一月、四月、閏四月、六月、七月、九月、十二月になります。時代は江戸幕府から明治へ。「天から御札(神符)が降ってくる、これは慶事の前触れだ」、街では「ええじゃないか」と人々が唄い踊りました。 絵は、当時の混乱する世相が題材です。踊り狂う人、人!!男性が大の月、女性が小の月です。それぞれが月にちなんだ扮装で持ち物を持っています。一月は右下隅の羽子板を持つ着物の女性、順に左方向に廻ります。二月は初午、お稲荷さんのキツネ、三月は赤ら顔の天狗、四月は初鰹を持つ子連れ女性、子供は閏月を表します。続いて五月は端午の節句、六月は扇子の女性、七月は織姫、八月は農夫、九月は紺の着物の女性、十月は恵比寿様、十一月は酉の市、肩に熊手とやつがしら、十二月は正月用品を持つ女性です。

おわりに 我が探偵団は、今は消え去った太陰太陽暦の痕跡を訪ね、そこから生まれた庶民の魅力ある文化、絵暦に会えてほんとうによかった、楽しかった。絵暦で見る、滑稽さ、艶やかさ、賑わい、添えられた洒落た文章は、時代を超え、今も我々の心に響くものがあります。まちの人々は、こんな暦を手にお互い当時の世相等色々な話題に心躍らせたことでしょう。長い々タイムトンネルの向こうから賑やかな笑い声、お喋りが聞こえてくるようです。ところで平成26年は太陰太陽暦で表すとどうなる。ネットで調べました。丁度「閏」の年で9月が2度あります。1年が13か月、ひょっとして13回御給料が頂ける年・・残念!!第3回探偵団報告はこれで終わります。なお、ここで掲載している“絵暦”は、全て“国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)”から得たものです。


新井 正人

新井 正人(あらい・まさと)

1943年生まれです。出身は、夏目漱石、正岡子規等が活躍した四国松山(道後温泉)です。宮前区に住み始めて10年以上になります。65才で勤めをリタイアしました。その後自分が住んでるまちの事が知りたく、また何かお役にたちたいと思い"宮前区まちづくり協議会"に参加しました。痕跡探偵団は、歩きを主体にまちの歴史を振り返り、今なお残されたまちの痕跡に目を向け、移りゆくわがまちの一端を紹介出来ればと思っています。現在の団員は、私1人です・・・。

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