2014年3月6日

まちの痕跡探偵団~移りゆくわがまち~

第1回
泉福寺・大イチョウの下で

machi no konseki tanteidan

  地図は、明治19年作成です。村名等分かりやすくしました。一帯は閑静な農村地帯で、梶ヶ谷村から土橋村方向へ伸びた帯状の田畑を挟み両側の大部分が丘陵地で占められ、ふもとに泉福寺(馬絹)があります。私の住いの近くです。

地図    

    丘陵地での農業は厳しい環境だった。そのため村は、花や植木の栽培を生業とした農家が多い。丘陵の際に沿って矢上川が流れています。長い歴史を経てまちの様子は一変しましたが、近隣には今も植木栽培の農家が残っています。田畑は埋め立てられ、尻手黒川道路が通り、多くの人、車が行き交っています。 探偵団は、まちが歩んだ歴史に触れながら、今なお残された“まちの痕跡”に目を向け、移りゆくわがまちの一端を御紹介します。 

   毎朝7時、ゴーン、ゴーン・・・泉福寺の鐘が町に響きます。尻手黒川道路を挟んで少し高台にある私の住いのベランダからは、住宅や高い建築物に囲まれた泉福寺と、幹の太くて力強い樹齢800年の大イチョウが見えます。

泉福寺・1

    お寺は天台宗、開基は年代不詳義天法師と伝えられており、中興は智賢法印(1505年没)、現在は30世にあたります。本尊は不動明王(武相不動尊霊場第23番札所)で、阿弥陀如来と子育て地蔵が祭られています。本堂は、約170年前(弘化4年・1847年)に老朽のため建て替えられ現在に至ります。

    お寺には大変貴重な二面の板面着色絵馬(川崎市重要歴史記念物)があります。“泉福寺境内相撲図”には奉納相撲の情景が、“泉福寺薬師会図”には薬師堂内の薬師如来像が、何れも境内に現存する大イチョウと共に描かれています。

泉福寺・絵馬
   相撲図は、画面の中央に土俵、右端に大イチョウが描かれています。筋肉の盛り上がった巨体をぶつけ合い四つに組む力士の姿、行司の真剣な姿には迫力を感じます。 後がない!!ノコッタ、ノコッタ・・両者必死です。境内に響く歓声、周囲も思わず力が入ります。たまに開催される奉納相撲に村は大変賑わったことでしょう。相撲の歴史は非常に古く、江戸時代には徳川将軍家の上覧相撲がたびたび開催されました。またこの時代は、大相撲史上未曾有の最強力士とされている“雷電為右衛門(らいでんためえもん・明和4年(1767年)~文政8年(1825年))”が大活躍した時代でもあります

 薬師会図は、画面の中央右寄りやや上方に御開帳された薬師堂本尊の薬師如来像とその傍らに僧侶が、また中央やや左寄りに大イチョウが描かれています。境内は参詣者で溢れんばかりです。少しでも長く御本尊様のそばに居たい、そんな気持ちが伝わって来ます

 境内のお掃除をされていた方のお話では、かつて大イチョウの根本付近に泉があった。“泉福寺”の寺号はこれに由来するそうです。付近は緩やかな丘陵地で、地下水が流れ込んでいたようです。今では泉は消え、何の痕跡も見当たりません。 

 時代が明治に移りのどかな農村地帯にも“新たな村づくり”の波が押し寄せました。寺子屋から学校へ、政府は教育に熱心に取り組み、明治5年「学制」が公布され全国に学校が造られることになりました。建築には大きなお金が必要で調達は至難の業でした。新校舎を心待ちに、泉福寺の仮校舎、大イチョウの下で勉学に励む子供達がいました
 そんな姿にみんな頑張りました。“学問はその身のためのもの”、財源は村の人々から寄付金を募りやっと建築にこぎつけたのです。明治9年盛隆学舎(現在の野川小学校付近)、明治10年鳴鶴学校(現在の宮崎小学校の場所)が新築されました。その後両校は、合併等を経て昭和22年“川崎市立宮崎小学校”となり現在に至っています。宮崎小学校は、創立(明治6年)以来約140年になります

  閑静な農村地帯は、戦争に突き進んだ頃大きく変わりました。昭和17年東部62部隊が赤坂から川崎北部の高台(現在の宮崎中学校)へと移転し、農村地帯の広い範囲が接収され演習地になりました。私の住いの近くにも「陸軍」と刻まれた石造の境界杭が二ヶ所残っています。
 村は兵隊さんで溢れました。大イチョウの下、泉福寺にも寝泊りしていたようです。近所の人達もお風呂をたて、部屋を準備する等泊りのお手伝いをしました。戦況が怪しくなった昭和20年頃には、部隊から発射された高射砲の音が地面を揺るがせ、また大イチョウをかすめるように米軍機が舞い降りて来たこともあったようです。

 戦後、まちは新たな都市計画による”まちづくり”が進み、今では人口約22万人の宮前区に発展しました。写真は、暗い帳に包まれた静けさの中で新年(平成26年)を迎える泉福寺です。本堂にお参りする者、大イチョウの下、たき火で暖を取りながら語り合う者がいます。静かに佇む大イチョウは、わがまちが懸命に生きてきた証として、何時も我々のそばでまちの移り変わりを見守っています。

泉福寺・2


新井 正人

新井 正人(あらい・まさと)

1943年生まれです。出身は、夏目漱石、正岡子規等が活躍した四国松山(道後温泉)です。宮前区に住み始めて10年以上になります。65才で勤めをリタイアしました。その後自分が住んでるまちの事が知りたく、また何かお役にたちたいと思い"宮前区まちづくり協議会"に参加しました。痕跡探偵団は、歩きを主体にまちの歴史を振り返り、今なお残されたまちの痕跡に目を向け、移りゆくわがまちの一端を紹介出来ればと思っています。現在の団員は、私1人です・・・。

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