2016年3月24日

まちの痕跡探偵団~移りゆくわがまち~

第7回 “火鉢さん”お役ご免ですね

今回“まちの痕跡探偵団”は、物置で埃を被り皆さんから忘れ去られようとしている“火鉢さん”を訪ね、私達と共に歩んできた長い々足跡の一端を振り返りました。
「くわんくわんと炭のおこりし夜明哉」:小林一茶
私が小学生の頃、暖房の主役は「火鉢」だった。炭をおこすとき、「炭がかんかん・・」は、よく耳にしました。畳が凍るような寒い朝、火鉢のなかで時折薄青い焔を発し赤く燃える(かんかんになった)炭火に清々しい一日の始まりを覚えた。

火鉢

 

火鉢さんには長い々歴史があります

「置炉としての火鉢は奈良時代に登場した。火鉢は、薪のように煙が出ないことから上流の武家や公家に使用されたが、江戸時代から明治にかけて庶民にも普及し、装飾品として彫金を施した唐金(金属)製の火鉢や、鮮やかな彩色をした陶器製のものも作られた」(参考:ネット・フリー百科事典)

火鉢(火桶)は、「拾遺和歌集」や「枕草子」の中に出てきます。次の一句は、「拾遺和歌集・巻十八雑・1187」の作例です。
「夏は扇冬は火桶に身をなしてつれなき人に寄りもつかばや」:詠み人知らず
歌には、「夏は扇、冬は火鉢(いずれも季節の必需品)に我が身を変えて、無情な人にどこまでも、ずっと一緒に寄り添っていたいものだ」こんな思いが込められています。

また、俳句にも詠まれています。
・霜の後撫子咲ける火桶かな(松尾芭蕉・江戸時代前期)
・桐火桶無弦の琴の撫でごころ(与謝野蕪村・江戸時代中期)
・酒五文つがせてまたぐ火鉢かな(小林一茶・江戸時代後期)
・灯火を消すや火鉢の薄あかり(森鴎外・明治、大正期)
・虚子病んで糸介抱す火鉢かな(高浜虚子・明治、昭和期)
(参考:「日本大歳時記・講談社」・1996年3月出版)

 

火鉢さんは何時も私達のそばにいました

★子供達の学びの友でした
①「小学中等 作文稽古本」に載っています。
稽古本は、「文部省小学教則綱領」に因り編集され、火鉢を文題の一つに取り上げています。生徒は、選んだ文題を黒板に書き、稽古本を座右におき、作文の稽古に励みました。火鉢については、次の様な作文があります。
「火鉢ハ磁器或ハ銅鐡等ニテ作ルヲ常トス 又一種木ニテ外面ヲ作リ銅板ヲ内ニ箱メタルモノアリ之ヲ箱火鉢と云フ 共ニ冬月炭火ヲ燃シ寒ヲ凌ギ暖ヲ取ル器ノ名ナリ」
(参考:小学中等作文稽古本・大阪府平民・曽我部信雄・明治16年5月発行)

②「小学日本画帳」に載っています。
その姿は、明るく、元気一杯です。「画帳の要旨」には以下の様な記述があります。
「本編ハ文部省令第拾四號小学校令施行規則第八條ニ基ヅキテ編集」
「教材ハ児童ニ適当ナルモノヲ採用シ 忠君愛国ノ志気ヲ養ハンコトヲ努メタリ」火鉢・2・教材(参考:「画帳」・著作者、書者 深田直城・明治33年12月発行)
<深田 直城(ふかだ ちょくじょう:文久元年・1861年― 昭和22年・1947年)・日本画家で文展(現日展)審査員を務めた>

★一家の大切な家族でした
何時も家族と一緒。嬉しいお話、困ったお話等・・時を忘れ、お付き合いは夜更けまで続きました。
・うき時は灰かきちらす火鉢かな(松岡 青蘿・まつおか せいら・江戸生れの俳人)
・なつかしき人の名をきく火桶かな(籾山 梓月・もみやま しげつ・明治後期~戦前)
火鉢・3・団欒(参考:「石井柏亭集上」・昭和7年4月30日発行・㈱平凡社)
<石井 柏亭(いしい はくてい:明治15年・1882年―昭和33年・1958年)・日本の版画家、洋画家、美術評論家>

★みなさんの会話を温めました
外は雪、火鉢の周りの旦那衆、暖を取りながら話が弾んでいます。火鉢・4・雪見宴<歌川 豊春(うたがわ とよはる:享保20年・1735年― 文化11年・1814年)・江戸時代中期の浮世絵師>

火鉢さんからの一言。「火鉢に暖まりますとき、何気なく自分の方へ引寄せたり、よりかかったり、躰をすり寄せたり、横座りになったり、躰を張ったりすることがよくあります。これは独りの折でも外から見まして、見苦しいものですが、お客様の前とか、多人数の中などにありましては大禁物であります。必ず火鉢の手前縁に一寸両手をかけて、姿勢正しく、上品に、あたたまるように気を附けねばなりません。」(参考:「廓読本 松之巻」・東京興信新報社・昭和11年5月発行)

★客のおもてなしに努めました
お客は、差し出された火鉢さんに思わず気持ちが和みます。その様は、「よく火をいけ灰を押へ、両手にて捧げて客の前に持ち出で、およそ二三歩手前にて座りながら下に置き、而して後左手を畳に突き、右の手にて静かに客の少し左に寄せて押し進める。」とあります。
・客去って撫る火鉢やひとり言(嘯山・しょうざん・江戸中期の俳人) 火鉢・5  (参考:「和洋女子 禮式作法新書」・ 東京廣文堂書店・明治43年10月発行

★変身した姿は、みなさんの心を奪いました
画帳には、「女子の品性に適応せしむことを謀り高尚優美にして實用に適するもの」の記述があります。
・霜の後撫子咲ける火桶かな(松尾芭蕉)
・火桶にて天城の炭火うつくしき(水原秋櫻子・明治~昭和・俳人、医師)火桶(参考:「女子師範毛筆画帳4の巻」・橋本雅邦・明治38年3月発行・㈱中外国書局)
<橋本 雅邦(はしもとがほう:天保6年・1835年― 明治41年・1908年)・明治期の日本画家>

★汗、油にまみれることもありました
お餅を焼く、焼き芋やおでんを作る等、万能型調理器です。 絵は、「雪見の宴」での鴨鍋で活躍する火鉢さんです。そばに鉄瓶があります。宴は、「雪は豊年の兆しなれば 野も山も銀世界 知られぬ花を咲かせたるには 花咲の翁もびっくりの手ぎは さればかかる好景色をながめながら いっちょこをかたむけるうれしさ・・五合の酒に勢ひを借り・・」とあります。火鉢さん大活躍です。雪見宴(参考:「滑稽大演説会」・ 山崎暁三郎・明治26年12月発行・國華堂)

 

火鉢さんこんな「事件」にあいました

「オババ誤解だ!!」・・「かはらぬ契りをかはして住む祖父と祖母ありしが、祖父七十にあまりて寒気に堪えがたければ、土火鉢を求め、昼は膝をはなさず、夜は夜床に入れて、なでさすりて調法しけるを、祖母聞いて腹を立て、祖父が隣へゆきたる留守に火鉢を引出し、はやう出てゆけと、火鉢を取って溝の中へ投げしに、火鉢の火に水入りしかば、ジイジイと鳴りしを祖母聞いて、あら腹だちやまだおのれはジイジイとぬかすかとて、うちくだいてすてたり。」(参考:「眠気さま誌」・日就社出版部編・明治44年7月発行)・・怖いお話です・・

 

火鉢さんの折り紙姿です

我国の伝承文化の一つとされている折り紙は、広く子供達にも親しまれています。火鉢さんの折り方は、途中までは「鶴」とおなじです。挑戦しました。なかなか形にならず苦労しましたが、やっとこんな可愛らしい火鉢さんが出来上がりました。(参考:「おりがみ上」・本多功・昭和6年12月・日本玩具協会)火鉢・折り紙・1

 

おわりに 

私が小学生の頃、寒い朝の我家は火鉢に炭火を起こすことから始まった。その役目は“おふくろ”だった。早朝、火消壺や炭俵から炭を出し、ガリガリ、ガリガリ・・炭を割る音に目を覚まし、しばらくすると“早く起きなさい、学校に遅刻するよ!!”の声にあわてて布団から抜け出た。凍り付くような畳、炭がカンカンに起こった火鉢のそばで家族揃って朝食です。火鉢さんと共に歩んだ日々のことを懐かしく思い出します。お役ご免になった火鉢さん、まだまだ私達の心の中で生き続けています。以上、第7回探偵団報告はこれで終わります。

 

参考資料

関連資料は、国立国会図書館デジタルコレクションから得ております。


新井 正人

新井 正人(あらい・まさと)

1943年生まれです。出身は、夏目漱石、正岡子規等が活躍した四国松山(道後温泉)です。宮前区に住み始めて10年以上になります。65才で勤めをリタイアしました。その後自分が住んでるまちの事が知りたく、また何かお役にたちたいと思い"宮前区まちづくり協議会"に参加しました。痕跡探偵団は、歩きを主体にまちの歴史を振り返り、今なお残されたまちの痕跡に目を向け、移りゆくわがまちの一端を紹介出来ればと思っています。現在の団員は、私1人です・・・。

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