2014年6月16日

まちの痕跡探偵団~移りゆくわがまち~

第2回 大イチョウのすむまち

DSC00532 - コピー - コピー (2) ●イチョウの大木は、生きた人工の構造物と言えます。 木は、だれが植えたかによって二つの種類に分類できます。一つは鳥や動物、風などによって種が運ばれ芽生えた木、即ち自然が植えた木です。シイ、タブ、カシ、クヌギ、コナラ等が繁る森は、人が立ち入ることのなかった、自然が植えて出来た森です。もう一つは、人が何らかの意図、目的をもって植えた木です。イチョウの木は、もともと我が国には化石としてはでるが、野生としては存在しない。その昔ある人によって植えられ、その後自力で生き続けて来ました。植物は一度根づくと動けません。イチョウの大木は、同じ場所で延々と生きながらえてきた人工の構造物と言えます。

●影向寺と泉福寺には、樹齢600年を超える大イチョウがすんでいます。 私は宮前区宮崎にすんでいます。地図は、明治14年陸軍省と参謀本部によって測量されたものです。現在、私がすんでいる周辺の地図になります。近くには泉福寺(宮前区馬絹)と少し離れて影向寺(宮前区野川)があります。大山街道、中原街道が確認できます。川崎のさいはて、仙境と言われたわがまちは、戦後大きく変わりました。矢上川に沿った水田に尻手黒川道路が通り、田園都市線の乗り入れ(昭和41年)等により地域開発が進み、大都市の姿を整えました。 May30632

影向寺は、関東屈指の古刹と言われ、樹齢600年の大イチョウがすんでいます。ところで日本最大の大イチョウ、横綱は、どんな大イチョウなのだろう。ネットで調べました。青森県(深浦町)にある推定1000年の大イチョウ(幹回り22m、樹高31m)がそのようです。それと比べるとこの大イチョウ(幹回り8m、樹高28m)は、小結位になるのかな・・・そんな気がします。 奈良・平安時代、影向寺のある一帯は、武蔵野国橘樹郡としてお寺に隣接し橘樹郡衙(川崎市役所に相当)があり、古代川崎の政治・行政・文化・経済の中心地として重要な役割を果たしていたと考えられています。影向寺は、橘樹郡の公的な郡寺であったようです。その後、郡寺としての役目を終えた後もずっと人々の心のよりどころであった。境内に植えられたイチョウの木は、周辺地域の一つの目印となり、人が集まる交流広場、仏教を広める構造物の一つとして機能していたと思われます。また影向寺の大イチョウは、下垂した気根(乳柱)を削って飲むと乳が出るようになる言い伝えから“乳イチョウ”と呼ばれ、母乳の出ないお母さんが山坂超えてお参りしました。御利益があったようです。 写真の橘樹郡衙跡(推定地・地図の印)は、平成10年(1998年)度から6年かけて橘樹郡衙の所在を確認するための発掘調査が行われ、正倉(倉庫)群が発見された重要な区域です。現在緑地として整備され、建物跡は地中に埋設保存されています 橘樹郡衙跡地

泉福寺には、樹齢800年の大イチョウがすんでいます。影向寺や泉福寺の近傍には大山街道、中原街道が通っています。大山街道は、雨乞いで有名な大山阿夫利神社へ向かう道です。また中原街道は、かなり古くからある古道で、東海道が整備されるまでは東海道の一部となる重要な街道だった。両街道とも東海道の脇街道として江戸時代には、商業、文化、産業の交流軸として大変重要な役割を果たしました。大イチョウは、これらの街道やまちのランドマークとして多くの人に親しまれたことでしょう。JR川崎駅近くの稲毛神社には、川崎のシンボルと言われ、戦災で傷ついた樹齢1000年を超える大イチョウがすんでいます。これら三つの大イチョウは、川崎の3大イチョウと言われています。

●イチョウは大変生命力が強く、氷河時代もしたたかに生き延びたのです。 イチョウが地球上に現れたのは、約2、3億年前です。恐竜が滅びた氷河期もしたたかに生き延びました。調べてみますと、我が国のイチョウは、中国の山奥の寺に生きていたのを日本の僧が持ち帰り植えたと言われており、仏教の伝来と重なっています。 イチョウの木には凄い生存力、回復力があり、幹には耐火性もあります。また幹や葉には毒性のあるギンコール酸があり、他の生き物を寄せ付けないなどの特徴があります。位の高い木として、日本では一般の民家に植えると不幸になるなどの言い伝えがあり、寺や神社に意図的に植えられました。秋には黄色くなりその華やかさと美しさは目立つ存在でした。維持管理が簡単なこともあり、今日では街路樹として多用され親しまれています。ちなみに、神奈川県、東京都、大阪府の木は、イチョウです。

●大イチョウは、”まちのシンボル”、”日蔭をつくる”、”交流の場”の三つの機能を持ち合わせています。 ガラクタ市

大イチョウは遠くからもよく見えます。繁った枝は、夏には日陰を作り、人々の交流の場を作ります。大イチョウの姿は、川崎出身の岡本太郎の造った、大阪万博のプラザの屋根を突き抜けたシンボルタワー、“太陽の塔”を思い出させます。寺の屋根より高く、左右に大きく腕を広げたような塔の下は、大勢の人が集い、賑わいました。当時、イチョウを植えた僧侶も、シンボルと日蔭と交流の三つの機能を持たせたいと思ったのではないでしょうか。写真の“ガラクタ市”は、毎年大イチョウの下で行われます。色々なお店が出店し、多くの人が集まり、賑わい、明るい声が溢れます。 樹齢何百年、千年を超えて生き延びて来た大イチョウを見ていると怖くなります。近づき難い凄さがあります。人類が発生してから200~300万年、日本の歴史はせいぜい1500~1600年。日本の歴史の大半を一人で生き抜いて来た大イチョウは、想像を絶する生き物です。ひょっとして、影向寺、泉福寺の大イチョウは、人類が滅びた後も、日本がなくなった後も生き続ける・・・そう思って見るとなおさら凄い。どうやら大イチョウは、我が探偵団の能力をはるかに超えた生き物であることが分かりました。今回の報告はこれで終わります。


新井 正人

新井 正人(あらい・まさと)

1943年生まれです。出身は、夏目漱石、正岡子規等が活躍した四国松山(道後温泉)です。宮前区に住み始めて10年以上になります。65才で勤めをリタイアしました。その後自分が住んでるまちの事が知りたく、また何かお役にたちたいと思い"宮前区まちづくり協議会"に参加しました。痕跡探偵団は、歩きを主体にまちの歴史を振り返り、今なお残されたまちの痕跡に目を向け、移りゆくわがまちの一端を紹介出来ればと思っています。現在の団員は、私1人です・・・。

バックナンバー